なんかクライアントの使い方が良くわからん。
BlogとChatの中間みたいなもんか。
フォローしたら通知がいくのね。
しかしこれ、沢山フォローしたら訳解らなくなりそう。
2010年05月31日
ツィッター
posted by h_asanaka at 20:44| Comment(0)
| Diary
ゲームミュージック その3
高校に入学して、ギターを触るようになってからは全くゲームをやらなくなった。
聴く音楽と言えばRock系ばっかり。
しかも世はバンドブームで、次から次へと新しいアーティストがメジャーデビュー
していて、TVで流れる音楽も随分と変わっていたんじゃないだろうか。
まぁ、あの時代と言えば「ホコ天」「イカ天」が大きなムーブメントだったと
思うんだけど、それとは別に「インディーズレーベル」からのアルバムリリースも
随分増え、所謂「メジャーの売れ線」とは違った音楽が手に入るようになって
自分はそっち方面ばっかり聴いていたなぁ。
なのでゲーム音楽の知識は多分、「アフターバーナー」くらいで止まっていたと思う。
PCゲームは別として・・・っつってもやっぱりYs-2ぐらいで止まっているんだけど。
で、
大学生になり就職活動で「サウンドクリエイターを目指す」となったからには、
それなりの知識は必要だろうと思い、ゲームセンターに行ってみると・・・
格闘ゲームがすでに流行っていた。いや、バーチャファイターが出ていたから
すでにどころの話では無いんだろう。
「なに?このカクカクしたやつ。」(バーチャレーシング)
「なに、これ?筐体動かないの?」(リッジレーサー)
それくらいの浦島太郎状態であった。
ちなみにその時に「極上パロディウス」をかなりやり込んで1コインクリアする
ぐらいまでになりましたよ。使用キャラは「こいつ」。ヨイショ ヨイショ
ペンタロウXは倒せなかったけど。
ゲームミュージックCDも何枚か買って聴いてみた。
当然SNK作品の物も。(決して1500円で安かったという理由では無く)
確か買ったのは、餓狼伝説SPとサムライスピリッツだったと思う。
最初に聴いた印象は「なんだぁ?このアクの強い音楽は!?」という・・・。
「ゲーム音楽ってサラリと聴けてノリが良い」というイメージが強かったので
良い悪いは別の話として、とにかく耳に残ったなぁ。
それに、当時は「ゲームミュージック=フュージョン」という印象を持っていたので
(知識がアウトランやアフターバーナーで止まっていたからだと思うけど)
ギースとか雷電の曲とか初めて聴いた時には、マジで笑った。
基本、ああいうリフはギタリストでないと絶対に出てこない。
「ああ、この作曲者は本気でゲーム音楽でハードロックやってるな」と。
当時は、ああいうアプローチは珍しかったから凄く新鮮だったのを覚えている。
聴く音楽と言えばRock系ばっかり。
しかも世はバンドブームで、次から次へと新しいアーティストがメジャーデビュー
していて、TVで流れる音楽も随分と変わっていたんじゃないだろうか。
まぁ、あの時代と言えば「ホコ天」「イカ天」が大きなムーブメントだったと
思うんだけど、それとは別に「インディーズレーベル」からのアルバムリリースも
随分増え、所謂「メジャーの売れ線」とは違った音楽が手に入るようになって
自分はそっち方面ばっかり聴いていたなぁ。
なのでゲーム音楽の知識は多分、「アフターバーナー」くらいで止まっていたと思う。
PCゲームは別として・・・っつってもやっぱりYs-2ぐらいで止まっているんだけど。
で、
大学生になり就職活動で「サウンドクリエイターを目指す」となったからには、
それなりの知識は必要だろうと思い、ゲームセンターに行ってみると・・・
格闘ゲームがすでに流行っていた。いや、バーチャファイターが出ていたから
すでにどころの話では無いんだろう。
「なに?このカクカクしたやつ。」(バーチャレーシング)
「なに、これ?筐体動かないの?」(リッジレーサー)
それくらいの浦島太郎状態であった。
ちなみにその時に「極上パロディウス」をかなりやり込んで1コインクリアする
ぐらいまでになりましたよ。使用キャラは「こいつ」。ヨイショ ヨイショ
ペンタロウXは倒せなかったけど。
ゲームミュージックCDも何枚か買って聴いてみた。
当然SNK作品の物も。(決して1500円で安かったという理由では無く)
確か買ったのは、餓狼伝説SPとサムライスピリッツだったと思う。
最初に聴いた印象は「なんだぁ?このアクの強い音楽は!?」という・・・。
「ゲーム音楽ってサラリと聴けてノリが良い」というイメージが強かったので
良い悪いは別の話として、とにかく耳に残ったなぁ。
それに、当時は「ゲームミュージック=フュージョン」という印象を持っていたので
(知識がアウトランやアフターバーナーで止まっていたからだと思うけど)
ギースとか雷電の曲とか初めて聴いた時には、マジで笑った。
基本、ああいうリフはギタリストでないと絶対に出てこない。
「ああ、この作曲者は本気でゲーム音楽でハードロックやってるな」と。
当時は、ああいうアプローチは珍しかったから凄く新鮮だったのを覚えている。
posted by h_asanaka at 03:40| Comment(0)
| column-ゲームミュージック
2010年05月30日
ゲームミュージック その2

自分が中学生の頃、何らかの情報を入手する手段は本ぐらいしか無かった。
当時、ゲームミュージックを扱っていた雑誌と言えば、
以前Blogにも書いた「マイコンBASICマガジン」と「Beep」くらいだと思う。
マイコンBASICマガジンに関しては、ゲームミュージックをパソコンに演奏させる
プログラムが毎月載っていたり、FM音源の解説等、プログラマ視点の記事が
多かったものの、ゲーム雑誌ライターの元祖と言っていいであろう山下章氏が
記事中でゲームミュージックについて触れる事も多く、自分自身、かなり影響を
受けたと思う。
一方、「Beep」はなんと言っても付録のソノシートだろう。
時代背景をちょっと解説しておくと・・・
◯ちょうどレコードからCDへと移行する時期で、店に行くとCDとレコードが
一緒に並べられていて、リリースされる商品も両方出ていた。
(今でいうとDVDとBlu-Rayみたいなもんか)
◯ゲームミュージック音源(アルバム)もちょろっと発売されていて、
時代は消費税導入前でアルバム一枚3200円。
(のちに消費税導入を期に物品税が廃止され、3000円が通常価格になる。)
◯アーケードゲームは大型筐体が人気で、筐体の音源もかなり進化した時代。
ダライアスとかアウトランとか。。。中にはヘッドフォン端子がついた筐体も
あったりして、ゲームセンターでしか聴けない音が間違い無くあった。
そんなゲームミュージックがオマケで手に入るのである。
スゲースゲー。
(今考えると、当時のクリエイターの方々が「ゲームミュージックを盛り上げよう」
と、努力した軌跡の一つなのかも知れませんねぇ。)
自分もいくつか手に入れてカセットにダビングして聴いていたなぁ。
当時の音楽シーン・・・というかテレビの音楽番組で扱う曲は
アイドルPOPS、演歌、ムード歌謡、フォーク・・・ぐらいだった。
ラジオを聴く習慣の無かった自分にはそれが全てで、とても好きになれる
音では無かったんだと思う。
ゲームミュージックはそれらのどれとも違っていて、とても新鮮に聴こえたんだろう。
とても面白い音楽だと感じた。性質上、テンポも良いしね。
しかし、ゲームミュージックを好んで聴くのはこの時までになってしまう。
posted by h_asanaka at 03:49| Comment(0)
| column-ゲームミュージック
2010年05月28日
ゲームミュージック その1
自分がファミコンを手に入れたのは確か中1の夏休みだったと記憶している。
馴染みの模型店でファミコンとソフト(ドアドア)を親父に買ってもらった。
それから手に入れたゲームと言えば・・・
スーパーマリオブラザーズ、ツインビー、魔界村、忍者ハットリくん、
グラディウス、、、等々まぁ人並みにTVゲームを楽しんでいたと思うが、
「ゲームをやるより作りたい」という気持ちが強くなり、
ほどなくして売っぱらってしまった。
そして手に入れたのがSonyのHitBitというMSXパソコン。
「これでプログラムの勉強をするぜ!ファミコンなんて子供のおもちゃさ!」と息巻いた。
趣味でゲームを作るのであれば、全て一人でやらなければならない。
プログラムも絵(ドット絵)もサウンドも全てである。
なので「ドット絵の参考に」とドラゴンクエストの攻略本を買ってきて
「スライムのドット絵はこうかな?」と、その本を見ながら方眼紙に色を塗って
再現するような事もしていた。
結局肝心のプログラムの方はさっぱり身に付かなかったのだが。。。
で、この攻略本。
珍しい事にドラゴンクエストのオープニングテーマと街の曲の楽譜が載っていたのである。
「へー。じゃぁこれもパソコンで鳴らしてみるか」と、
母親に楽譜の読み方を教えてもらいながら、少しづつプログラムで打ち込んでみた。
だいたい一小節毎に打ち込んでいき、その都度再生する。
間違いが無ければさらに一小節打ち込み再生・・・
この徐々に曲が完成していく作業が、実に楽しかった。
これが、自分がゲームミュージックに触れた最初の出来事であったと思う。
posted by h_asanaka at 03:38| Comment(0)
| column-ゲームミュージック
2010年05月24日
曲名
S社の曲名には随分とユニークな曲名が多い。
いつかのでんちゅうさんのBlogに「変な曲名をつけ始めたのは私だ」と書いてあったが、
まったく同じ事をYamaDub氏も言っていたような(笑
そんな中で自分は割とまともな曲名をつけていた方だと思う。
「ESAKA?のどこがまともなんだ?」と言われても、あれはシリーズなので
伝統を引き継いだと言う点で至極まともなのである。うん。
で、何故ユニークな曲名をつけなかったのか?と言うと
「そういうセンスが自分にはあまり無い」というのが一点
それと、「自分がやった所で、所詮二番煎じに過ぎないなぁ」と思ったから。
KOF'99の時に「Tears」という曲名をつけた。
当時はオリジナル(ゲーム機内蔵)音源盤以外に、
生演奏収録等をおこなう、所謂アレンジ音源盤を制作する事が定例で
この曲も生演奏レコーディングする事になったのだが、
まぁーーーーー、このギタープレイがすばらしく「Tears」であった。
スタジオにいた誰かが「うわぁ・・・・」と思わず声を漏らす程の。
当然自分も鳥肌たちまくり。曲ドンケツのアームダウンなんてもう。
さすがにこの時ばかりは、曲名って大事だなぁと思った。
これが「主役クビ」とかいう曲名だったら、またプレイが違っただろう。
いつかのでんちゅうさんのBlogに「変な曲名をつけ始めたのは私だ」と書いてあったが、
まったく同じ事をYamaDub氏も言っていたような(笑
そんな中で自分は割とまともな曲名をつけていた方だと思う。
「ESAKA?のどこがまともなんだ?」と言われても、あれはシリーズなので
伝統を引き継いだと言う点で至極まともなのである。うん。
で、何故ユニークな曲名をつけなかったのか?と言うと
「そういうセンスが自分にはあまり無い」というのが一点
それと、「自分がやった所で、所詮二番煎じに過ぎないなぁ」と思ったから。
KOF'99の時に「Tears」という曲名をつけた。
当時はオリジナル(ゲーム機内蔵)音源盤以外に、
生演奏収録等をおこなう、所謂アレンジ音源盤を制作する事が定例で
この曲も生演奏レコーディングする事になったのだが、
まぁーーーーー、このギタープレイがすばらしく「Tears」であった。
スタジオにいた誰かが「うわぁ・・・・」と思わず声を漏らす程の。
当然自分も鳥肌たちまくり。曲ドンケツのアームダウンなんてもう。
さすがにこの時ばかりは、曲名って大事だなぁと思った。
これが「主役クビ」とかいう曲名だったら、またプレイが違っただろう。
posted by h_asanaka at 16:33| Comment(0)
| column
ツィッター

どう考えても自分には必要が無い。
と思っていたのだが、、、、。
ここ数ヶ月、HPを作っている事もあって
ツィッター=情報発信 という式しか頭になかった。
が、先日ネットをチラチラ見ていて、ようやく
「情報受信」
もある事にようやく気付いた。
ボケボケだわー。
なので始めてみようかなぁ と思いはじめている今日この頃。
つぶやかないけどね。
posted by h_asanaka at 15:44| Comment(0)
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2010年05月23日
仮オープン?
チマチマ制作中のこのサイトだが、でんちゅうさんがBlogで取り上げてくれたので
アクセスが増えた。っつーか、今まで俺しか見てなかった(笑 。
という訳で仮オープン。
こんな事やあんな事、そんな事も考えているので地味に更新されていくでしょう。
多分。
さ、マヨブラジオを観よう。
アクセスが増えた。っつーか、今まで俺しか見てなかった(笑 。
という訳で仮オープン。
こんな事やあんな事、そんな事も考えているので地味に更新されていくでしょう。
多分。
さ、マヨブラジオを観よう。
posted by h_asanaka at 00:53| Comment(0)
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2010年05月21日
飲み会
今日は元同僚・・・つかサウンドの先輩方と飲み会だった。
まぁ、大抵バカ話でゲラゲラ笑っておしまいなんだが、
そういう時間って年をとればとる程貴重になってくる。
そしてその先輩方もまた貴重な存在な訳で。
で、その待ち合わせ場所に向かう電車の中

ドアの溝にピーナッツが落ちてた。
傘も持っていたので、その下の穴に落としたい衝動にかられたが止めておいた。
特に意味は無い。
まぁ、大抵バカ話でゲラゲラ笑っておしまいなんだが、
そういう時間って年をとればとる程貴重になってくる。
そしてその先輩方もまた貴重な存在な訳で。
で、その待ち合わせ場所に向かう電車の中

ドアの溝にピーナッツが落ちてた。
傘も持っていたので、その下の穴に落としたい衝動にかられたが止めておいた。
特に意味は無い。
posted by h_asanaka at 02:56| Comment(0)
| Diary
2010年05月20日
CoolCoolToon〜音楽制作環境その2
この仕事をやっていたら
「我が子と一緒に自分の携わったゲームで遊びたい」
と多くの人が考えると思う。
我が子はまだ0歳児なので、ゲームを遊べるような大きさでは無いのだが、ふと
「クルクル(CoolCoolToon)なら絵もあんなだし、多少は反応すんじゃね?」
と思い、ガサゴソとTVラック中のドリキャスを掘り返してみたものの
コントローラーが見つからず企画倒れとなった。
実は他に子供と遊ぶのに適した作品があるんだけど、いかんせん持ってないんだよな。
こちらは別の機会にでも紹介します。
--------------------------------------------------------
外部のスタジオを使う場合、当然「音」を外に持ち出さないといけない。
今ではツールス(ProTools)を使ってCDやDVDで持ち込むのが普通だが、
自分が社会人になった頃にはそんな世界になるとは夢にも思っていなかった。
当時はTASCAM「DA-88」を使ってHi-8テープに録音しスタジオに持ち込む
というスタイルが業界標準だったと思う。
「DA-88」とは、まぁカセットMTRのデジタル版で、使い勝手もカセットMTRとほぼ一緒。
曲を聴くには頭だしが必要だし、上書きしちゃうと二度と元には戻らない。
デジタルである分、考える事がカセットテープよりちと多い。
そしてめちゃくちゃデカイ。が、音はイイ!という代物であった。
しかしながら、業務用機器という事もあり、とにかく高価。
デジタル録音の環境を持つ事は、とてもお金のかかる事だった。
ほどなくして、HDレコーディングというものが一気に身近な物になる。
RolandのVS880の登場である。
VS880はカセットMTRのハードディスク版といった所だが、なんてったってデジタル。
ピンポンダビングをしても音の劣化が無いのである。
(ピンポンダビングなんて死語もいいとこなんだろうなぁ)
劣化が無いから、ダビングし放題でトラック数は無限にある(ように思えた)。
しかもオプションでエフェクトボードを装着でき、
2系統のエフェクターをデジタル内部でかける事ができる。
煩わしく音の劣化の元になる配線などほぼ無用。
媒体もテープでは無いので頭出しも一瞬。
これが発売された時には迷わず買った。
こんなデジタル環境が20万程で手に入るなんて夢のような話だったのである。
しかし、HDレコーダーの時代も長くは続かずDAWの時代へと突入する。
ちなみにクルクルの曲はProToolsを使ったと思う、、、けど
俺だけ「慣れてる」という理由で「DR16」を使った気がしないでもない。
続く・・・かも。
posted by h_asanaka at 02:11| Comment(0)
| column
2010年05月18日
2010年05月16日
2010年05月13日
音楽制作環境

プロジェクトBからプロジェクトCへ・・・の前にプロジェクトDが割り込み。
こちらは短期集中で。
先日ソフトシンセをインストールしていたんだがその容量がウン十ギガ。
オーサライズもネットでちょちょいと。時代も変わったもんだ。
自分が初めて手に入れたMacは「PowerMac 6200/75」だったように記憶している。
ハードディスクは500メガしか無かったが、当時はそれで充分な容量。
「500MBって、いったいスタンダードミディファルがいくつ入るのよ?」って。
同時に今は亡きシーケンサー「Vision」とミディパッチベイ「Studio4」も購入し、
「なんかプロっぽくなって来たぞ」と非常に嬉しかったのを覚えている。
で、この「Vision」・・・と言うか当時のソフトはどれも同じような物だと思うが、
箱の中身は3.5インチフロッピーディスク5〜7枚とぶっといマニュアル数冊という構成。
ソフトのインストールはこのフロッピーを使って行うのだが、その中の一枚に
「キーディスク」と言うものがあり、ソフトのオーサライズにはこれを使用する。
手順
ソフトをインストール後、キーディスクの挿入を求めらる。
挿入すると「このディスクにはキーが一つ入っています。キーをHDに移動しますか?」
と聞かれるので、キーを移動する。
するとディスク内のキー残量は0となるが、これでシーケンサーを使えるようになる。
Macを買い替えたりした時は、ディスクにキーを再度戻しておかないと
新たなMacにインストールは出来ない。
ハードディスクがトンだり、ディスクが壊れたら アウト である。
ユーザー登録は付属のハガキで行う。
ハガキに必要事項を記入し代理店に送付。
すると2週間程度でユーザー登録完了の通知と予備のキーディスクが送られてくる。
ちなみにアップグレードの通知も郵便で送られてくるので、ユーザー登録は不可欠。
そのアップグレードも確か料金払い込み用紙が添付されていて、
それで購入する手順だったように思う。
そう考えると、この15年くらいの音楽制作環境の変化は凄まじい。
ハードディスクレコーディングの一般への普及なんてもうちょっと先の話だし、
インターネットもまだまだ。パソコン通信とか言ってたか?
音自体はデジタル化されていたが、その扱いはまだまだアナログな物であった。
つづく(かも)
posted by h_asanaka at 13:59| Comment(0)
| column
2010年05月10日
母の日

ガラにもなくカーネーションを送ってみたり。
ただ、「母に」では無く、新しく母になった「嫁に」なんだけどね。
そりゃぁもう、父の日には期待(ry
posted by h_asanaka at 04:49| Comment(0)
| Diary
2010年05月08日
2010年05月07日
無印良品

とりあえずプロジェクトA納品。
しばらく連絡は無いハズなので、プロジェクトBに専念。
時間いっぱいまでこねくりまわすぞ。
しかし無印良品のお菓子は旨いなー。
さすが 良品 。
posted by h_asanaka at 03:19| Comment(0)
| Diary
2010年05月05日
2010年05月01日
キヨセくん
自分が作曲をするようになったのは実は就職活動でのデモテープ作成が最初である。
よくもまぁこの仕事に就けたなと今でも思う。
大学3回生の1月くらいになるとぼちぼち就職活動が始まる。
自分には特に行きたい会社等は無かった。
当時は「就職氷河期」と言われだして数年が経ったような状況だったので
割と手当り次第に色んな業種の会社の説明会に足を運んでいたと思う。
ただ、「音楽関係の仕事ができれば良いなぁ」とは考えていて
職種は問わずその方面を第一志望という形で活動していた。
その活動の中で「ゲームサウンドクリエイター」という職種に出会う訳だけれども、
当然デモテープ(今でも使うのかな。この言葉。)を提出しなければいけなくなった。
本格的に曲を作った事など無かったのだが「まぁ、できるでしょ。」
と、ソコに関しては何故か全く不安は無かった。
問題はその曲をどうやって音源化するかである。
高校時代からギターは弾いていたものの、
MTRは持っていなかったしドラムマシーンも持っていない。
ギターとエフェクター以外にあるものと言えばラジカセくらいだ。
ああ、困った。と考えていた自分を救ってくれたのがタイトルのキヨセ君。
キヨセ君は大学での仲良しグループの中の一人だったのだが、
一言でいうと「すごく良い奴」。
もう一言付け加えると「社交的なさわやかオタク」だ。
彼は非常にパソコンに詳しく、PC-9801系のパソコンは当然として
X68000なんていうPCも所持しており、尚かつそれにMIDIをつなげ
リッチな音質のBGMでゲームをするというかなり羨ましい環境の持ち主であった。
さらにT-スクウェアが大好きで、楽譜を買って来てMIDIを打ち込んで楽しむという
趣味ももちあわせていたので、デモテープ作りに協力してもらう事になった。
で、このやり取りが今考えると結構すごくて
まず自分が曲のラフを作る訳だが、それをどう形にしてキヨセ君に伝えるのかが問題。
結局、前に日記で書いたPC-8801maを使ってMMLで打ち込み、
そのプログラムをプリントアウトしたものとテープに録音したものをキヨセ君に渡し
それを元にMIDIで打ち込んでもらう事にした。
こんな事ができたのもキヨセ君だったからこそだろう。
その後、数曲揃った頃にキヨセ君の家に行って初めてMIDIの演奏を聴いたんだけど
結構なカルチャーショックだったわ。
「こんな事がパソコンで出来てしまうのか」と。
そこで、あーでも無いこうでも無いとこちらが指示を出して
キヨセ君が打ち込むというやり取りをしていたのだが、あまりにも
キヨセ君の負担が大きい事に気付き、自分でもMIDIの環境を持つことにした。
環境を揃えて、今度はキヨセ君にウチに来てもらい
「一日集中レクチャー」を受けてMIDIの打ち込みを身につけた。
ちなみに使っていたシーケンサーはでんちゅうさんのBlogにもでてきたレコンポーザ。
さらにちなみに、その日は夜なべで作業を覚えてテープ作りに励んだのだが
翌朝、新聞を広げるとセナが天に召されていた。
あの日、F1をテレビで見ていたら何も出来なかったかも知れない。
とまぁ、そんなこんなでデモテープを作る術を身につけ
結果、この職に就いた訳であるが、ひとえにキヨセ君のおかげなのである。
そんなキヨセ君は大学院に進んで、就職と同時に名古屋に引っ越してしまった。
就職後、名古屋に遊びにいったりもしたけれど、
連絡をとらなくなってもう何年経つか解らない。
mixiでひょっこり現れたりしないかなぁ。
よくもまぁこの仕事に就けたなと今でも思う。
大学3回生の1月くらいになるとぼちぼち就職活動が始まる。
自分には特に行きたい会社等は無かった。
当時は「就職氷河期」と言われだして数年が経ったような状況だったので
割と手当り次第に色んな業種の会社の説明会に足を運んでいたと思う。
ただ、「音楽関係の仕事ができれば良いなぁ」とは考えていて
職種は問わずその方面を第一志望という形で活動していた。
その活動の中で「ゲームサウンドクリエイター」という職種に出会う訳だけれども、
当然デモテープ(今でも使うのかな。この言葉。)を提出しなければいけなくなった。
本格的に曲を作った事など無かったのだが「まぁ、できるでしょ。」
と、ソコに関しては何故か全く不安は無かった。
問題はその曲をどうやって音源化するかである。
高校時代からギターは弾いていたものの、
MTRは持っていなかったしドラムマシーンも持っていない。
ギターとエフェクター以外にあるものと言えばラジカセくらいだ。
ああ、困った。と考えていた自分を救ってくれたのがタイトルのキヨセ君。
キヨセ君は大学での仲良しグループの中の一人だったのだが、
一言でいうと「すごく良い奴」。
もう一言付け加えると「社交的なさわやかオタク」だ。
彼は非常にパソコンに詳しく、PC-9801系のパソコンは当然として
X68000なんていうPCも所持しており、尚かつそれにMIDIをつなげ
リッチな音質のBGMでゲームをするというかなり羨ましい環境の持ち主であった。
さらにT-スクウェアが大好きで、楽譜を買って来てMIDIを打ち込んで楽しむという
趣味ももちあわせていたので、デモテープ作りに協力してもらう事になった。
で、このやり取りが今考えると結構すごくて
まず自分が曲のラフを作る訳だが、それをどう形にしてキヨセ君に伝えるのかが問題。
結局、前に日記で書いたPC-8801maを使ってMMLで打ち込み、
そのプログラムをプリントアウトしたものとテープに録音したものをキヨセ君に渡し
それを元にMIDIで打ち込んでもらう事にした。
こんな事ができたのもキヨセ君だったからこそだろう。
その後、数曲揃った頃にキヨセ君の家に行って初めてMIDIの演奏を聴いたんだけど
結構なカルチャーショックだったわ。
「こんな事がパソコンで出来てしまうのか」と。
そこで、あーでも無いこうでも無いとこちらが指示を出して
キヨセ君が打ち込むというやり取りをしていたのだが、あまりにも
キヨセ君の負担が大きい事に気付き、自分でもMIDIの環境を持つことにした。
環境を揃えて、今度はキヨセ君にウチに来てもらい
「一日集中レクチャー」を受けてMIDIの打ち込みを身につけた。
ちなみに使っていたシーケンサーはでんちゅうさんのBlogにもでてきたレコンポーザ。
さらにちなみに、その日は夜なべで作業を覚えてテープ作りに励んだのだが
翌朝、新聞を広げるとセナが天に召されていた。
あの日、F1をテレビで見ていたら何も出来なかったかも知れない。
とまぁ、そんなこんなでデモテープを作る術を身につけ
結果、この職に就いた訳であるが、ひとえにキヨセ君のおかげなのである。
そんなキヨセ君は大学院に進んで、就職と同時に名古屋に引っ越してしまった。
就職後、名古屋に遊びにいったりもしたけれど、
連絡をとらなくなってもう何年経つか解らない。
mixiでひょっこり現れたりしないかなぁ。
posted by h_asanaka at 03:41| Comment(0)
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